2015年11月17日火曜日

更新が多いのは病んでる証拠

ヤッちゃえ日産のすごいところは、自動ブレーキしか売り出してないのに、まだできてない自動運転でCMを出してしまっているところ。
果たして自動運転車を売り出して死傷事故が起きたら社長が出てきてお詫びするのだろうか。つまり100%社長に恥をかかせない自信が持てるまで売り出すのは難しいでしょう。技術には詳しくないけど一般道はなかなか難しいのでは?

2015年11月5日木曜日

2015台北

 2012年2月の香港以来、3年9ヶ月ぶり2度目の海外旅行に台北へ、まじくんとなりたといずれも独身の男3人で、3泊4日で行ってきた。このさい特に、この旅行が健全なものであったことを強調しておきたい。

1日目(10月31日)
 高速バスに乗り3時間で成田空港へ。なりたと合流し、2名で15:15成田発台北行キャセイパシフィック航空機に搭乗。現地時間18:40(日本時間19:40)頃に桃園空港着。空港に降り立つころにはすっかり暗くなっていた。
 ここでなりたが日本円17千円しか持ち合わせていないことが発覚。すぐさま、空港のATMでクレジットカードを用いたキャッシングを試みるも失敗。以降、彼はこの旅行中、すべてのキャッシングの試みに失敗したことから、終始、クレジットカード払いを除く支払を他人の現金を借りて支弁することとなった。
 桃園空港から、台北市内へ50分あまりバスに乗る。バス代は125元すなわち日本円換算でおよそ460円。この国(地域)はとにかく人件費が安いらしく、大卒の初任給が20千元すなわち日本円換算でおよそ74千円であるという。このためか交通費、食費はことごとく安い。
 このバスに2名で乗車したさい、隣りに居合わせた自称ドイツ人で中国研究をする学生というトーマスと、しばらくの間、今やっている仕事等の紹介や日本語に関する話などをした。
 宿泊先のホテルに近いバス停の国賓飯店(The Ambassador Hotel)に到着し、降車すると、運転士から制止され「コォピン!?コォピン!?」と連呼された。これに応じて「あー、アンバサダーホテル、アイゲットオフ」などと述べたがまったく聞き入れられず、バス内に押し戻された。結果、再びバスに乗り1つ先の台北駅まで行った。おそらく「コォピン」は「国賓」と思われ、それを知っていれば降りることができたと思われる。
 台北市はタイペイフリーと呼ばれる無料のWiFiが市内随所に整備されており、登録すれば使用できる。また、飲食店や商店にもよくWiFiがある。しかし、よく切れる。
 タイペイフリーを頼りに宿泊先ホテルに21:40頃到着。まじくんと合流。3人で近くの安い個人経営の食堂のような飲食店に行き、台湾ビールと紹興酒に、台湾の麺料理や空心菜?炒めなどを食べた。
 宿泊先ホテルはまじくんの手配によるもので、とてもきれいでかつ3泊で13千円と安かった。その周辺は日本人向けの居酒屋、クラブ等が立ち並んでいた。すぐ近くにセブンイレブンがあり、酒は安価な台湾ビールを中心に、やや高めの日本のアサヒ、キリンの他、ギネス、ハイネケン、バドワイザーなどがあった。スナック菓子類はカタカナ表記のものも多かった。コンビニに限らず、日本発であるとか日本で流行していることを強調した広告の方法が目立った。

2日目(11月1日)
 朝、台北市内を走る電車MRTに乗り忠孝復興駅へ。駅近くのビルの1階にあった出店のようなところで売っていた肉まん等の饅頭で朝食をとった。
 忠孝復興駅からバスで1時間程度走り、九份へ行った。ここは千と千尋の神隠しの湯ばあばのいた旅館のモデルとなった建物などをはじめ、映画ロケ等に使われる情緒ある街並みであった。土産物屋の間の狭い路地を歩くと、女性は、化粧が上手なのか、整形が発達しているのか、きれいな人が多い。しかし私を除く同行者2名は異なる意見であった。
 先に述べた湯ばあばの旅館のモデルとなった建物の向かいにある、景色のよく見える飲食店で牛肉麺などを台湾ビールとともに食べて昼食にした。
 九份を後にして、バスで途中の松山まで引き返す。松山から、何かで世界第3位の高さであるという台北101ビルへ徒歩で移動。地上89階まで上った。エレベータは、チャレンジで有名なあのT社の製造によるものであった。89階からは、天気が曇ってはいたものの台北市街を一望。さらにこの高層ビルの振動を緩和する風船状の装置や、サンゴ細工の展示などを観た。
 89階から降りようとしたとき、なりたがホテルのカードキー及び鉄道・バス用IC乗車券を入れていたカードケースを紛失したことが発覚。89階のモデルのように美しいお姉さんに事情を話して探してもらい、20分ほどで無事に取り戻すことができた。
 台北101の地下は日本と同様デパ地下となっており、ここでお土産を購入。ついでに野菜コーナーを見るが日本の農産物はほとんどなかった。一方で、水産品コーナーに日本同様にパック寿司が売られているのが印象的だった。
 夕方、台北101からタクシーに乗り饒河街観光夜市へ。タクシーに乗車すると車内にミラーボールがあるのかは不明だったが、キラキラとカラフルな光がグルグルと回っている。どうも様子がおかしい。このタクシーの運転手は突然、カラオケをしないかと誘ってきたかと思うと、自らマイクを握り、信号渋滞の中、車外にも大音響を響かせながら一曲歌いはじめた。その途中、タクシーの左側にたまたま居合わせた2人乗りバイクの後ろに乗る女性と、窓ガラス越しに何かジェスチャーで会話をしている。女性は怪訝な顔をして、そのバイクは走り去っていった。運転手は2曲目に日本の演歌を歌った。そして我々がおよそ30歳で独身であることを聞き出すと、概略「自分はフェイスブックにたくさんの知り合いがいる。ここで歌えば、その様子を映した映像をフェイスブックにアップすることにより、ガールフレンドと知り合うことができる」旨を述べた。しかもこのさい、彼自身の言葉を彼のスマートフォンの翻訳音声に変えて会話をしていた。ただただ驚くばかり。彼はさらに、過去にこのタクシーで歌唱した者の映像を見せるなどして、執拗にカラオケを歌唱することを迫ったが、我々は最後までこれを拒否した。乗車時間は20分程度であったが、かなり気まずかった。なお、後に運転手の乗務員証に記載されていた名前を手掛かりにフェイスブックを調べたところ、彼と思われるアカウントは実在し、11万人のフォロワーを獲得していた。
 饒河街観光夜市は上野のアメ横に似ているが、より屋台が中心といった感じの場所であった。付近のコンビニで買った台湾ビールを持ち込み、この夜市で屋台を2軒はしごした。途中、フランクフルト状の山猪肉とかいうものを食べたが、台湾特有の味付けすなわち砂糖と、花椒のような香りの強いスパイスが効いていて、どうもなじめない味であった。2軒目の屋台では臭豆腐という文字通りくさい、発酵させた豆腐を注文。12個のうちいずれも推定で私が7個、なりたが4個、まじくんが1個食べた。もう二度と食うことはないだろう。

3日目(11月2日)
 遅く起きた朝はホテルからほど近いマクドナルドで朝マックを食う。日本とさほど味は変わらないが、トイレの個室のドアは板張りで、しかもその上下がやけに開放的である。また、マクドナルドに限らず、トイレットペーパーを便器に流すなという張り紙とともに、トイレットペーパーを捨てるためなのか、ごみ箱が置いてある場合が多かった。
 MRTに乗り士林駅へ。士林駅からバスに乗り故宮博物院へ。驚いたのは故宮博物院の向かいに立派な建物があり、何かと思えば、台湾創価学会であった。
 博物院に入りまず3階へ。青銅器などを観たのち、行列に並び、話題の白菜と、分厚い肉を見学。また、最後は1階の象牙の球状の工芸品を観た。
 博物院から士林駅に戻り、駅近くのセブンイレブンで関東風おでんを食べる。関東風と言う割に関西風であるが、味は日本とあまり変わらない。ただ、卵は染みていない。
 士林駅から東門駅へ行き鼎泰豐(ディンタイフォン)で小籠包を食いまくった。
 満腹を抱えて歩き中正紀念堂へ。蒋介石の銅像を覆う巨大な紀念堂である。おそらく毎正時に行われる衛兵交代の儀式を観た。また、抗日戦争の展示パネルも見学した。
 紀念堂からほど近い二二八和平公園では、あいにく資料館は休館だったが、外の展示を見た。
 夕方は台北駅近くの新光三越へ行き、服でも買えればと思ったが、あまりいいものが見つからなかった。
 夕食は最近介護事業の売却を決めた日系企業の居酒屋に行った。しかし、日本より値段が高いため、即時オーダーストップで退散。ホテル近くの日本食居酒屋に行った。

4日目(11月3日)
 最終日は移動日。台北駅でまじくんと別れ、日本の新幹線と同じ車両を用いた台湾高鐵に乗り桃園駅へ。駅のトイレも日本の新幹線駅のものと同じだった。桃園駅で再び朝マックをした。
 空港で両替し、余った半端な金はクレジットカードと組み合せて免税店でのタバコの購入に使ったため、台湾元を残さず使い切ることができた。次回もこの方法を使おう。
 帰路は現地時間12:55(日本時間13:55)台北発キャセイ機に搭乗。17:30頃成田に帰着し、高速バスで帰り、22:00頃帰宅した。

2015年10月24日土曜日

歴史

イスラム国という呼称はふさわしくないためIS、イスラミックステートが製作していると思われる、目を覆いたくなる残虐行為の動画がインターネット上に出回りつづけています。一方で、テレビではまったく出てきません。犠牲者の冥福を祈るとともに後世、歴史となって世に出てきちんと検証されることを望みます。まあ、米国によるミサイルを用いた残虐行為は数百年経たないと歴史にならないかもしれませんが。

2015年9月17日木曜日

連休前

 昨日から安保法案の採決が大詰めで、テレビでデモの様子をたくさん流している。
 もし採決が週明けに延びたら、このシルバーウイークで連日、デモの様子が放送され、暇な国民たちがテレビを観て世論が一層、法案反対に傾きかねない。
 そうすると与党の立場なら連休前の採決が必須だな、などと考えていた。
 そこで気づいたのだけれど、この期末の忙しい9月になぜか仕事を邪魔する忌まわしい連休があって、その連休に入る前はみんな必死で夜遅くまで仕事をしている。
 そしてその連休前の最終日というのは、一年の中で最もと言っていいくらい、テレビが視聴されない日なのではないか!?
 統計がないのでただの妄想ですが。しかしこれがどうかはともかくとして、今の政権はそういうやり方がうまい。

2015年7月16日木曜日

15年安保

国民の理解が進んでいないと言うが、具体的に中国の話をしなければ理解は進まないし、そしてそんな話はできないと思う。従って理解は進まないと思う。
それから、アメリカの勘定から言えば日本人の命の値段が今まで高すぎたということだと思う。

2015年6月9日火曜日

ニュースウェブ

こんなツイートが来てます、とか言ってタブレット見ながらニュースやられるのを観るのはどうにもつらい。

2015年5月21日木曜日

地震

たぶん太平洋岸近くに住みはじめたせいだと思うのだが、地震が最近多くなった。
しかも地盤の盤石な大都市圏・埼玉では絶対ありえないような揺れ方。ユサユサではない。
前触れの地鳴りのような音が遠くに聞こえたかと思うと、地面全体の裏にでっかいマナーモードで着信してる携帯を押し付けたようなブゥーンという振動がくる。
プレート境界だとこれが当たり前なのだろうか…。

2015年3月21日土曜日

玉音放送の解説

終戦放送
http://youtu.be/TDgOFsH8PZo
この動画の7分0秒以降、玉音放送の後に続き、NHKの和田信賢アナウンサーが解説を述べるのですが、この部分はこれまで聴いたことがありませんでした。
多少難しい言葉がありますが、その語り方は驚くほど現代的で、これだったらこの2015年でも、昼時にそこら辺の安い定食屋のラジオから流れてきそうな雰囲気です。

2015年2月1日日曜日