Miscellaneous
ミスレイニアス
2017年1月10日火曜日
実はアナログ革命
デジタル化の波に乗って自分たちの仕事をどんどんデジタル化しよう!と言って、アナログな仕事をデジタル化して、実はせっせと自分たちの首をしめている。当座はデジタル化した者が偉いということになるが、結局、彼の仕事はデジタル化され、なくなる。そして最後には本当にアナログな仕事しかなくなる。
2016年7月31日日曜日
人工知能
人工知能が雇用を奪うと言われていて、それが起きて世の中を変えてしまうとしたらおそらく私の定年前なのでその動向を注視しています。
それは将来のある日突然ではなくジワリジワリと気づかぬうちに起き、もっと言えば、現時点でもそれは起きつつあると言えるのかもしれません。
人工知能の普及の後もなお人間に残される仕事は、クリエイティビティ、マネジメント、ホスピタリティの3つの要素それぞれに関する仕事だけだという。
こういうことを聞くと自己啓発とか資格取得などというのは馬鹿らしくなってくる。だが、だからと言って前述の3要素が自分にあるわけでもない。あるかないかにかかわらず雇用が大幅に失われればしわ寄せは必ず来る。
それは将来のある日突然ではなくジワリジワリと気づかぬうちに起き、もっと言えば、現時点でもそれは起きつつあると言えるのかもしれません。
人工知能の普及の後もなお人間に残される仕事は、クリエイティビティ、マネジメント、ホスピタリティの3つの要素それぞれに関する仕事だけだという。
こういうことを聞くと自己啓発とか資格取得などというのは馬鹿らしくなってくる。だが、だからと言って前述の3要素が自分にあるわけでもない。あるかないかにかかわらず雇用が大幅に失われればしわ寄せは必ず来る。
2016年4月13日水曜日
近況
工場の看板を掛け替えるだけなのに大変な忙しい日々を送っています。
先週末は久しぶりに買い物に繰り出して、石原慎太郎がかねてより批判していた金権政治家田中角栄を自伝スタイルで描いた小説『天才』を読んでいます。
あとは、少し前に放映していたNHKスペシャルの原発メルトダウン88時間のドキュメントを観ています。この作品は非常に分かりやすくできていて、福島第一原発2号機がいかに危機的な状況となり、かつ、制御不能になっていたのかを初めて理解しました。この2号機はまったく手をつけられず、最後、現在も原因不明の謎の衝撃音とともにサプチャン圧力がゼロになって、最悪の事態を免れた。しかしそれは人為的に免れたのではなく偶然に免れたのであって、格納容器の破壊が起きていたら、福島第一原発だけでなく、近くで冷却中だった福島第二原発からも退避せざるを得なくなり、両原発が制御不能になり大量の放射能がまき散らされ、東日本の人間がみんな引越しする羽目になっていた・・・ということらしいですが、そうなっていたら日本は第2の戦後のようなことになっていたのではないかと考えました。
先週末は久しぶりに買い物に繰り出して、石原慎太郎がかねてより批判していた金権政治家田中角栄を自伝スタイルで描いた小説『天才』を読んでいます。
あとは、少し前に放映していたNHKスペシャルの原発メルトダウン88時間のドキュメントを観ています。この作品は非常に分かりやすくできていて、福島第一原発2号機がいかに危機的な状況となり、かつ、制御不能になっていたのかを初めて理解しました。この2号機はまったく手をつけられず、最後、現在も原因不明の謎の衝撃音とともにサプチャン圧力がゼロになって、最悪の事態を免れた。しかしそれは人為的に免れたのではなく偶然に免れたのであって、格納容器の破壊が起きていたら、福島第一原発だけでなく、近くで冷却中だった福島第二原発からも退避せざるを得なくなり、両原発が制御不能になり大量の放射能がまき散らされ、東日本の人間がみんな引越しする羽目になっていた・・・ということらしいですが、そうなっていたら日本は第2の戦後のようなことになっていたのではないかと考えました。
2015年12月11日金曜日
2015年11月17日火曜日
更新が多いのは病んでる証拠
ヤッちゃえ日産のすごいところは、自動ブレーキしか売り出してないのに、まだできてない自動運転でCMを出してしまっているところ。
果たして自動運転車を売り出して死傷事故が起きたら社長が出てきてお詫びするのだろうか。つまり100%社長に恥をかかせない自信が持てるまで売り出すのは難しいでしょう。技術には詳しくないけど一般道はなかなか難しいのでは?
果たして自動運転車を売り出して死傷事故が起きたら社長が出てきてお詫びするのだろうか。つまり100%社長に恥をかかせない自信が持てるまで売り出すのは難しいでしょう。技術には詳しくないけど一般道はなかなか難しいのでは?
2015年11月5日木曜日
2015台北
2012年2月の香港以来、3年9ヶ月ぶり2度目の海外旅行に台北へ、まじくんとなりたといずれも独身の男3人で、3泊4日で行ってきた。このさい特に、この旅行が健全なものであったことを強調しておきたい。
1日目(10月31日)
高速バスに乗り3時間で成田空港へ。なりたと合流し、2名で15:15成田発台北行キャセイパシフィック航空機に搭乗。現地時間18:40(日本時間19:40)頃に桃園空港着。空港に降り立つころにはすっかり暗くなっていた。
ここでなりたが日本円17千円しか持ち合わせていないことが発覚。すぐさま、空港のATMでクレジットカードを用いたキャッシングを試みるも失敗。以降、彼はこの旅行中、すべてのキャッシングの試みに失敗したことから、終始、クレジットカード払いを除く支払を他人の現金を借りて支弁することとなった。
桃園空港から、台北市内へ50分あまりバスに乗る。バス代は125元すなわち日本円換算でおよそ460円。この国(地域)はとにかく人件費が安いらしく、大卒の初任給が20千元すなわち日本円換算でおよそ74千円であるという。このためか交通費、食費はことごとく安い。
このバスに2名で乗車したさい、隣りに居合わせた自称ドイツ人で中国研究をする学生というトーマスと、しばらくの間、今やっている仕事等の紹介や日本語に関する話などをした。
宿泊先のホテルに近いバス停の国賓飯店(The Ambassador Hotel)に到着し、降車すると、運転士から制止され「コォピン!?コォピン!?」と連呼された。これに応じて「あー、アンバサダーホテル、アイゲットオフ」などと述べたがまったく聞き入れられず、バス内に押し戻された。結果、再びバスに乗り1つ先の台北駅まで行った。おそらく「コォピン」は「国賓」と思われ、それを知っていれば降りることができたと思われる。
台北市はタイペイフリーと呼ばれる無料のWiFiが市内随所に整備されており、登録すれば使用できる。また、飲食店や商店にもよくWiFiがある。しかし、よく切れる。
タイペイフリーを頼りに宿泊先ホテルに21:40頃到着。まじくんと合流。3人で近くの安い個人経営の食堂のような飲食店に行き、台湾ビールと紹興酒に、台湾の麺料理や空心菜?炒めなどを食べた。
宿泊先ホテルはまじくんの手配によるもので、とてもきれいでかつ3泊で13千円と安かった。その周辺は日本人向けの居酒屋、クラブ等が立ち並んでいた。すぐ近くにセブンイレブンがあり、酒は安価な台湾ビールを中心に、やや高めの日本のアサヒ、キリンの他、ギネス、ハイネケン、バドワイザーなどがあった。スナック菓子類はカタカナ表記のものも多かった。コンビニに限らず、日本発であるとか日本で流行していることを強調した広告の方法が目立った。
2日目(11月1日)
朝、台北市内を走る電車MRTに乗り忠孝復興駅へ。駅近くのビルの1階にあった出店のようなところで売っていた肉まん等の饅頭で朝食をとった。
忠孝復興駅からバスで1時間程度走り、九份へ行った。ここは千と千尋の神隠しの湯ばあばのいた旅館のモデルとなった建物などをはじめ、映画ロケ等に使われる情緒ある街並みであった。土産物屋の間の狭い路地を歩くと、女性は、化粧が上手なのか、整形が発達しているのか、きれいな人が多い。しかし私を除く同行者2名は異なる意見であった。
先に述べた湯ばあばの旅館のモデルとなった建物の向かいにある、景色のよく見える飲食店で牛肉麺などを台湾ビールとともに食べて昼食にした。
九份を後にして、バスで途中の松山まで引き返す。松山から、何かで世界第3位の高さであるという台北101ビルへ徒歩で移動。地上89階まで上った。エレベータは、チャレンジで有名なあのT社の製造によるものであった。89階からは、天気が曇ってはいたものの台北市街を一望。さらにこの高層ビルの振動を緩和する風船状の装置や、サンゴ細工の展示などを観た。
89階から降りようとしたとき、なりたがホテルのカードキー及び鉄道・バス用IC乗車券を入れていたカードケースを紛失したことが発覚。89階のモデルのように美しいお姉さんに事情を話して探してもらい、20分ほどで無事に取り戻すことができた。
台北101の地下は日本と同様デパ地下となっており、ここでお土産を購入。ついでに野菜コーナーを見るが日本の農産物はほとんどなかった。一方で、水産品コーナーに日本同様にパック寿司が売られているのが印象的だった。
夕方、台北101からタクシーに乗り饒河街観光夜市へ。タクシーに乗車すると車内にミラーボールがあるのかは不明だったが、キラキラとカラフルな光がグルグルと回っている。どうも様子がおかしい。このタクシーの運転手は突然、カラオケをしないかと誘ってきたかと思うと、自らマイクを握り、信号渋滞の中、車外にも大音響を響かせながら一曲歌いはじめた。その途中、タクシーの左側にたまたま居合わせた2人乗りバイクの後ろに乗る女性と、窓ガラス越しに何かジェスチャーで会話をしている。女性は怪訝な顔をして、そのバイクは走り去っていった。運転手は2曲目に日本の演歌を歌った。そして我々がおよそ30歳で独身であることを聞き出すと、概略「自分はフェイスブックにたくさんの知り合いがいる。ここで歌えば、その様子を映した映像をフェイスブックにアップすることにより、ガールフレンドと知り合うことができる」旨を述べた。しかもこのさい、彼自身の言葉を彼のスマートフォンの翻訳音声に変えて会話をしていた。ただただ驚くばかり。彼はさらに、過去にこのタクシーで歌唱した者の映像を見せるなどして、執拗にカラオケを歌唱することを迫ったが、我々は最後までこれを拒否した。乗車時間は20分程度であったが、かなり気まずかった。なお、後に運転手の乗務員証に記載されていた名前を手掛かりにフェイスブックを調べたところ、彼と思われるアカウントは実在し、11万人のフォロワーを獲得していた。
饒河街観光夜市は上野のアメ横に似ているが、より屋台が中心といった感じの場所であった。付近のコンビニで買った台湾ビールを持ち込み、この夜市で屋台を2軒はしごした。途中、フランクフルト状の山猪肉とかいうものを食べたが、台湾特有の味付けすなわち砂糖と、花椒のような香りの強いスパイスが効いていて、どうもなじめない味であった。2軒目の屋台では臭豆腐という文字通りくさい、発酵させた豆腐を注文。12個のうちいずれも推定で私が7個、なりたが4個、まじくんが1個食べた。もう二度と食うことはないだろう。
3日目(11月2日)
遅く起きた朝はホテルからほど近いマクドナルドで朝マックを食う。日本とさほど味は変わらないが、トイレの個室のドアは板張りで、しかもその上下がやけに開放的である。また、マクドナルドに限らず、トイレットペーパーを便器に流すなという張り紙とともに、トイレットペーパーを捨てるためなのか、ごみ箱が置いてある場合が多かった。
MRTに乗り士林駅へ。士林駅からバスに乗り故宮博物院へ。驚いたのは故宮博物院の向かいに立派な建物があり、何かと思えば、台湾創価学会であった。
博物院に入りまず3階へ。青銅器などを観たのち、行列に並び、話題の白菜と、分厚い肉を見学。また、最後は1階の象牙の球状の工芸品を観た。
博物院から士林駅に戻り、駅近くのセブンイレブンで関東風おでんを食べる。関東風と言う割に関西風であるが、味は日本とあまり変わらない。ただ、卵は染みていない。
士林駅から東門駅へ行き鼎泰豐(ディンタイフォン)で小籠包を食いまくった。
満腹を抱えて歩き中正紀念堂へ。蒋介石の銅像を覆う巨大な紀念堂である。おそらく毎正時に行われる衛兵交代の儀式を観た。また、抗日戦争の展示パネルも見学した。
紀念堂からほど近い二二八和平公園では、あいにく資料館は休館だったが、外の展示を見た。
夕方は台北駅近くの新光三越へ行き、服でも買えればと思ったが、あまりいいものが見つからなかった。
夕食は最近介護事業の売却を決めた日系企業の居酒屋に行った。しかし、日本より値段が高いため、即時オーダーストップで退散。ホテル近くの日本食居酒屋に行った。
4日目(11月3日)
最終日は移動日。台北駅でまじくんと別れ、日本の新幹線と同じ車両を用いた台湾高鐵に乗り桃園駅へ。駅のトイレも日本の新幹線駅のものと同じだった。桃園駅で再び朝マックをした。
空港で両替し、余った半端な金はクレジットカードと組み合せて免税店でのタバコの購入に使ったため、台湾元を残さず使い切ることができた。次回もこの方法を使おう。
帰路は現地時間12:55(日本時間13:55)台北発キャセイ機に搭乗。17:30頃成田に帰着し、高速バスで帰り、22:00頃帰宅した。
1日目(10月31日)
高速バスに乗り3時間で成田空港へ。なりたと合流し、2名で15:15成田発台北行キャセイパシフィック航空機に搭乗。現地時間18:40(日本時間19:40)頃に桃園空港着。空港に降り立つころにはすっかり暗くなっていた。
ここでなりたが日本円17千円しか持ち合わせていないことが発覚。すぐさま、空港のATMでクレジットカードを用いたキャッシングを試みるも失敗。以降、彼はこの旅行中、すべてのキャッシングの試みに失敗したことから、終始、クレジットカード払いを除く支払を他人の現金を借りて支弁することとなった。
桃園空港から、台北市内へ50分あまりバスに乗る。バス代は125元すなわち日本円換算でおよそ460円。この国(地域)はとにかく人件費が安いらしく、大卒の初任給が20千元すなわち日本円換算でおよそ74千円であるという。このためか交通費、食費はことごとく安い。
このバスに2名で乗車したさい、隣りに居合わせた自称ドイツ人で中国研究をする学生というトーマスと、しばらくの間、今やっている仕事等の紹介や日本語に関する話などをした。
宿泊先のホテルに近いバス停の国賓飯店(The Ambassador Hotel)に到着し、降車すると、運転士から制止され「コォピン!?コォピン!?」と連呼された。これに応じて「あー、アンバサダーホテル、アイゲットオフ」などと述べたがまったく聞き入れられず、バス内に押し戻された。結果、再びバスに乗り1つ先の台北駅まで行った。おそらく「コォピン」は「国賓」と思われ、それを知っていれば降りることができたと思われる。
台北市はタイペイフリーと呼ばれる無料のWiFiが市内随所に整備されており、登録すれば使用できる。また、飲食店や商店にもよくWiFiがある。しかし、よく切れる。
タイペイフリーを頼りに宿泊先ホテルに21:40頃到着。まじくんと合流。3人で近くの安い個人経営の食堂のような飲食店に行き、台湾ビールと紹興酒に、台湾の麺料理や空心菜?炒めなどを食べた。
宿泊先ホテルはまじくんの手配によるもので、とてもきれいでかつ3泊で13千円と安かった。その周辺は日本人向けの居酒屋、クラブ等が立ち並んでいた。すぐ近くにセブンイレブンがあり、酒は安価な台湾ビールを中心に、やや高めの日本のアサヒ、キリンの他、ギネス、ハイネケン、バドワイザーなどがあった。スナック菓子類はカタカナ表記のものも多かった。コンビニに限らず、日本発であるとか日本で流行していることを強調した広告の方法が目立った。
2日目(11月1日)
朝、台北市内を走る電車MRTに乗り忠孝復興駅へ。駅近くのビルの1階にあった出店のようなところで売っていた肉まん等の饅頭で朝食をとった。
忠孝復興駅からバスで1時間程度走り、九份へ行った。ここは千と千尋の神隠しの湯ばあばのいた旅館のモデルとなった建物などをはじめ、映画ロケ等に使われる情緒ある街並みであった。土産物屋の間の狭い路地を歩くと、女性は、化粧が上手なのか、整形が発達しているのか、きれいな人が多い。しかし私を除く同行者2名は異なる意見であった。
先に述べた湯ばあばの旅館のモデルとなった建物の向かいにある、景色のよく見える飲食店で牛肉麺などを台湾ビールとともに食べて昼食にした。
九份を後にして、バスで途中の松山まで引き返す。松山から、何かで世界第3位の高さであるという台北101ビルへ徒歩で移動。地上89階まで上った。エレベータは、チャレンジで有名なあのT社の製造によるものであった。89階からは、天気が曇ってはいたものの台北市街を一望。さらにこの高層ビルの振動を緩和する風船状の装置や、サンゴ細工の展示などを観た。
89階から降りようとしたとき、なりたがホテルのカードキー及び鉄道・バス用IC乗車券を入れていたカードケースを紛失したことが発覚。89階のモデルのように美しいお姉さんに事情を話して探してもらい、20分ほどで無事に取り戻すことができた。
台北101の地下は日本と同様デパ地下となっており、ここでお土産を購入。ついでに野菜コーナーを見るが日本の農産物はほとんどなかった。一方で、水産品コーナーに日本同様にパック寿司が売られているのが印象的だった。
夕方、台北101からタクシーに乗り饒河街観光夜市へ。タクシーに乗車すると車内にミラーボールがあるのかは不明だったが、キラキラとカラフルな光がグルグルと回っている。どうも様子がおかしい。このタクシーの運転手は突然、カラオケをしないかと誘ってきたかと思うと、自らマイクを握り、信号渋滞の中、車外にも大音響を響かせながら一曲歌いはじめた。その途中、タクシーの左側にたまたま居合わせた2人乗りバイクの後ろに乗る女性と、窓ガラス越しに何かジェスチャーで会話をしている。女性は怪訝な顔をして、そのバイクは走り去っていった。運転手は2曲目に日本の演歌を歌った。そして我々がおよそ30歳で独身であることを聞き出すと、概略「自分はフェイスブックにたくさんの知り合いがいる。ここで歌えば、その様子を映した映像をフェイスブックにアップすることにより、ガールフレンドと知り合うことができる」旨を述べた。しかもこのさい、彼自身の言葉を彼のスマートフォンの翻訳音声に変えて会話をしていた。ただただ驚くばかり。彼はさらに、過去にこのタクシーで歌唱した者の映像を見せるなどして、執拗にカラオケを歌唱することを迫ったが、我々は最後までこれを拒否した。乗車時間は20分程度であったが、かなり気まずかった。なお、後に運転手の乗務員証に記載されていた名前を手掛かりにフェイスブックを調べたところ、彼と思われるアカウントは実在し、11万人のフォロワーを獲得していた。
饒河街観光夜市は上野のアメ横に似ているが、より屋台が中心といった感じの場所であった。付近のコンビニで買った台湾ビールを持ち込み、この夜市で屋台を2軒はしごした。途中、フランクフルト状の山猪肉とかいうものを食べたが、台湾特有の味付けすなわち砂糖と、花椒のような香りの強いスパイスが効いていて、どうもなじめない味であった。2軒目の屋台では臭豆腐という文字通りくさい、発酵させた豆腐を注文。12個のうちいずれも推定で私が7個、なりたが4個、まじくんが1個食べた。もう二度と食うことはないだろう。
3日目(11月2日)
遅く起きた朝はホテルからほど近いマクドナルドで朝マックを食う。日本とさほど味は変わらないが、トイレの個室のドアは板張りで、しかもその上下がやけに開放的である。また、マクドナルドに限らず、トイレットペーパーを便器に流すなという張り紙とともに、トイレットペーパーを捨てるためなのか、ごみ箱が置いてある場合が多かった。
MRTに乗り士林駅へ。士林駅からバスに乗り故宮博物院へ。驚いたのは故宮博物院の向かいに立派な建物があり、何かと思えば、台湾創価学会であった。
博物院に入りまず3階へ。青銅器などを観たのち、行列に並び、話題の白菜と、分厚い肉を見学。また、最後は1階の象牙の球状の工芸品を観た。
博物院から士林駅に戻り、駅近くのセブンイレブンで関東風おでんを食べる。関東風と言う割に関西風であるが、味は日本とあまり変わらない。ただ、卵は染みていない。
士林駅から東門駅へ行き鼎泰豐(ディンタイフォン)で小籠包を食いまくった。
満腹を抱えて歩き中正紀念堂へ。蒋介石の銅像を覆う巨大な紀念堂である。おそらく毎正時に行われる衛兵交代の儀式を観た。また、抗日戦争の展示パネルも見学した。
紀念堂からほど近い二二八和平公園では、あいにく資料館は休館だったが、外の展示を見た。
夕方は台北駅近くの新光三越へ行き、服でも買えればと思ったが、あまりいいものが見つからなかった。
夕食は最近介護事業の売却を決めた日系企業の居酒屋に行った。しかし、日本より値段が高いため、即時オーダーストップで退散。ホテル近くの日本食居酒屋に行った。
4日目(11月3日)
最終日は移動日。台北駅でまじくんと別れ、日本の新幹線と同じ車両を用いた台湾高鐵に乗り桃園駅へ。駅のトイレも日本の新幹線駅のものと同じだった。桃園駅で再び朝マックをした。
空港で両替し、余った半端な金はクレジットカードと組み合せて免税店でのタバコの購入に使ったため、台湾元を残さず使い切ることができた。次回もこの方法を使おう。
帰路は現地時間12:55(日本時間13:55)台北発キャセイ機に搭乗。17:30頃成田に帰着し、高速バスで帰り、22:00頃帰宅した。
2015年10月24日土曜日
歴史
イスラム国という呼称はふさわしくないためIS、イスラミックステートが製作していると思われる、目を覆いたくなる残虐行為の動画がインターネット上に出回りつづけています。一方で、テレビではまったく出てきません。犠牲者の冥福を祈るとともに後世、歴史となって世に出てきちんと検証されることを望みます。まあ、米国によるミサイルを用いた残虐行為は数百年経たないと歴史にならないかもしれませんが。
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